パパ育休 – 180日間の育児奮闘記
とある物件の販売活動をしていた時のことです。物件に向かう車中で不思議な感覚が突如私の前に現れました。環七通りを横切る歩道橋と大きな神社のコントラスト。それに寒くてかび臭くて古めかしさのある建物になつかしさが込み上げてきたのです。しかし、その時は懐かしさの正体がわからずにいました。
当社で購入した新宿駅から甲州街道を代々木方面へ向かった先にある物件の地図を見た時。超高層ビルと雑居ビルのコントラスト、鳴りやまない車の騒音がうるさいなあと思いながら早足で歩いた感覚。そこを何度も通った事があるような感じがして不思議と懐かしさを感じました。やはり正体に辿り着けませんでした。
「三つ子の魂百まで」
「いつから習っているのですか?」とよく聞かれますが、「はっきりとは覚えていませんが、幼稚園の時には弾いていました。」と答えています。
私の母方の祖母は筝・三線(三味線)の先生です。「おばあちゃん」なんて呼んだ事はなく家でも外でもいつでもどこでも「先生」です。
「お箏をやらない子は家の敷居を跨いではならない」のは暗黙のルール。箏の稽古は、好き嫌い以前に、空気みたいに当たり前のルーティーンだったのです。
小さい頃は定期的に演奏会がありましたので、その日に向けてお稽古の日々が続きます。子供だからと言って容赦は一切ありません。一度も間違えずに一曲を通して弾けるようになるまでひたすら練習の繰り返し。不思議なことにとそれが嫌だったという記憶は皆無です。
努力しない者は・・・
三味線を本格的に習い始めた時のこと、同じところを二度間違えてしまい思わず手が止まりました。その時に祖母は静かに微笑みながら一言投げかけました。
「三度同じところを間違えるのであれば向いていないからお辞めなさい」
祖母の顔を見上げると優しく微笑んでいます。
私の心に緊張が走りました。「辞めたくない!」という思い、「あれだけ練習してきたのになぜ間違えてしまうのか」という悔しさ、等々が交錯しました。「集中せねば!」という強い思いで三度目に挑戦。なんとかうまく演奏できました。
祖母の顔をチラッと覗くと、それが当然という顔をしながら小さく頷いていました。
「なんて厳しい!」と思われるかもしれませんが、先生の前でお稽古を付けてもらうということは、自分が目指すものに向けて努力をしてきた結果を常に見て頂くということなのです。「三度間違えたら辞めなさい」とは、「努力しない者は去れ」ということでもあるのです。
このように箏のお稽古を通じて、技術面だけではなく精神面でも大切な事を多く学びました。
芸の道は遠く どれだけ稽古を重ねても辿り着けない道のり
こんな出来事もありました。
数年前のお正月のこと、とあるデパートで叔母の手伝いでミニ演奏会に参加しました。年末の忙しい時期ではありましたが、長期休暇に入った途端に猛練習を開始し、準備万端との自信のもと演奏の場に臨みました。
久々に着る華やいだ振袖姿で舞台に上がった時、足に違和感が・・・。
赤い絨毯が引かれているように見えたのは、木の舞台に薄い赤い布が引かれているだけの硬い硬い舞台でした。
足袋で足首をきつくしめている状態に加え、着物で座ると足全体もキュッと締め付けられます。その状態で木の上に直接正座をして演奏開始まで待つ数分の間にも既に足が痛くなってきました。後ろにスタンバっている叔母に「足、痛い・・・」と伝えるものの、「え?もう始まるのだから頑張りなさい」と笑って返されるか返されないかのうち、演奏開始を知らせるアナウンスが。
足が痛くて痛くて、おでこに脂汗、手にも大量の汗が。
(お箏は右手の親指、人差し指、中指の3本の指に本革と象牙で出来た爪をはめて演奏します。手に汗を搔けば掻くほど滑りやすくなり指から爪が抜けてしまうのです。だから汗を搔かない方法、すなわち緊張しない方法、そして緊張してしまった時に平常心に戻す方法を小さい頃からいつも探し求めていたように思います。)
激痛で足の感覚がなくなり、爪も抜けそうになる中で、「叔母の大事なお仕事を私のせいで台無しにしてはならない」との思いで何とか無事に演奏を終えることが出来たのも、小さい頃からの修練がいざというときに役に立ったのだと思いました。ですが、私が披露したかった演奏とはほど遠いものでした。
最後には足の感覚は一切なくなっていました・・・。
控室に戻った私は、猛反省。
「出来る」ということは、「演奏する環境や自分の体調がどうであろうと、平然と完全に演奏ができることであり、そうなるまでに練習に練習を重ねて当日を迎える態勢が出来ていること」なのです。
自宅一人で何の緊張感もない中で弾けるなんていうのは、出来るうちに入らない。甘い考えをしていた自分を戒める経験が出来、貴重なお正月となりました。
それから毎年志願して演奏者の一人として使ってもらっています。
他人からは、折角の年末のお休みに猛練習をして、お正月の朝早くから支度して遠方に出かけて演奏をするなんて苦行のように見えるかもしれません。だけど、私にとっては大切な1年の始まりの行事なのです。
今は黙々と一人で練習する時間が多いけれど、小さい時は母に連れられて、よく色々なお稽古場に行きました。母に連れられているからそこがどこだったかという明確な場所は覚えておらず、建物、音、温度、雰囲気などで覚えているようです。
大きな通りからにょきっと出た歩道橋が神社の敷地につきささるように設置されているのが印象的だった代田八幡神社。
新宿の喧騒からお寺の広い敷地に入った途端、古くてのんびりとした雰囲気に転換する感覚が楽しかった正春寺。
新しいマンションが建つと聞いた敷地に従前建っていた建物名を見たらそこで演奏をした記憶が蘇ったり、東京で一番地価の高い商業地に物件を見に行った時にふと思い出した邦楽のホール。
不動産の営業をしているとたくさんの場所に関わる機会がありますが、幼い頃からの筝のお稽古や演奏会の記憶とその場所とが自然と重なります。
そんな記憶を重ねて街の移り変わりを懐かしみながら歩いている私に粋を感じて頂けるのであれば幸甚です。