パパ育休 – 180日間の育児奮闘記
台風19号「ハギビス」は、2019年10月12日午後7時前に上陸した後、各地に記録的な強風と大雨による甚大な被害をもたらした。私も被害の渦中にいた。
私の住まいは武蔵小杉のタワーマンションの26階。日頃は多摩川の穏やかな流れを眺めて一日をスタートさせている。
台風上陸予定の12日はリスク管理に厳格な会社は基本全社一斉休業としていた。
26階からは外の様子もあまり把握出来ず、バルコニーから見える多摩川の水嵩が増していく様がわかる程度だった。
午後9時頃、マンションの館内放送で「バケツと要らない大きめなタオルをお持ちの方は1階までお持ちください」とアナウンスがかかった。「今まで館内放送が流れたことなんてあったか…?」と、さすがにこれはただ事ではないと思い、バケツとタオルを持ちエレベーターで1階へ。そこにはアナウンスを聞いた住人達がたくさん駆け付けていたが、浸水している様子などはなかったため、私はバケツとタオルを置いて自宅に戻った。(その後エントランスまで水が浸入し、住民によるバケツリレーが行われたということを後に知った)
繰り返し警戒を呼び掛けるテレビの報道により、かなりの危機感はあったが、一時的なものだと少し甘く見ていた。それでも浴槽には水を溜め、飲み水も確保し、オール電化のため停電も想定してカセットコンロを整えた。
そして日付が変わる前、地下3階が浸水したために排水はしないでほしいとの館内放送が流れ、トイレが使えなくなった。
その時点では停電は発生しておらず、私は早めに就寝した。
「大変な事態が発生している」
翌朝目覚めると、室内の静寂に違和感を覚えた。いつも通りテレビのスイッチを入れた時、その静寂は停電からくるものだという事に気付いた。
窓から入る日の光のおかげで停電でも暗やみに怯える事はなかった。しかし、何が起きているのかを把握したいという気持ちと、1階の共用トイレに行きたいという思いで玄関ドアを開けると廊下は真っ暗闇、恐怖で背筋が寒くなった。
廊下に出ていた数人の方に確認するも誰も状況が分からない。とりあえず下に降りて状況確認をしなければならなかったが、エレベーターが動いていなかった。
26階からは何度も行き来ができないと思い、1~2泊分の荷物をまとめ、息を切らしながら暗い階段を恐る恐るなんとか1階まで下りると、そこには、マンション防災センター、管理会社、販売会社、理事の方々が集まっておられ、この停電の復旧には1か月以上かかる可能性があると告げられた。改めて事の深刻さに呆然となった。
すぐに我に返り、まず会社に事態を正確に連絡した。
次に、私と猫2匹の住処の確保である。
近くのホテルを出来る限り長く(それでも3日間しか確保できなかった)予約して自分の住処はとりあえず確保した。
それから猫の住処を探すため、思いつく限りの人に連絡した。幸い猫の飼育経験のある知人が、ケージがあれば預かってくれる事になった。嬉しかった。
私の被災を知った会社の同僚家族が一緒に猫のケージを買いに行ってくれた。そのうえ朝から何も食べていなかった私に家で食事をごちそうしてくれたり、レンタカーを借りてくれて、猫の預かり先の知人宅まで送ってくれたりした。
そこからは、猫を預かってくれる知人の家に一旦ケージを置き、その知人の車で自宅の猫を迎えに行った。猫用のトイレや餌などの荷物運びまで手伝ってくれた。26階までの真っ暗な階段を上り下りの途中、他の移動者との励まし合いもあって、1時間半かけての猫の救出劇が終わった。(知人の娘さんが猫2匹を担いで下りてくれた)
「持つべきものは友である」としみじみと感じた。
一番の気掛かりだった猫達を快く預かってくれた知人には、本当に感謝している。
「ホテルも衣服も明後日までしか確保できていない」
これでかなり気持ち的には楽になったが、ホテルも3日間しか確保できていない。衣類も1・2日分しか持ってきていない。ちょうど季節の変わり目で暑かったり寒かったりする気候に手持ちの洋服では対応できない事にも気付き、ここでも不便を思い知った。これからどうなるのだろうという不安が襲ってきてよく眠れなかった。