パパ育休 – 180日間の育児奮闘記
自分はかなり凝り固まった思考をしているのかと、最近つくづく感じる。生まれて半世紀、
自分自身の経験や知識、また周囲の環境により、知らず知らずのうちに物事を決めつけ、自分に都合の良い解釈をしてしまう。こうするべきだ、普通は、そうに違いない・・・これをアンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み)というらしい。
やっぱりそう思っている?
一般的なアンコンシャス・バイアスとして、
(職場)
・受付対応、お茶出し、掃除は女性社員の仕事
・力仕事や害虫退治は男性社員の仕事
・育児、介護中の社員に負荷の高い仕事は任せられない
・上司は部下を自席に呼びつける
・教育上、少し位のパワハラは許される、というか昔は当たり前だ
・若い世代はPCスキルに長けているはずだ
(日常生活)
・You Tube、TikTokばかり見ている子供は学業の成績が悪い
・A型は几帳面、O型はおっとり、B型は・・・
・デート代は男性が支払う
・コンビニの弁当は美味しくない
・裕福な人に悩みなどない
・弁護士や医者の言う事は正しい
皆さんもそうだと思うが、一日起きてから寝るまでの間、多くの事を無意識に判断する事により、勝手に自身にストレスを与え、周囲にもストレスを与えてしまっている可能性がある。職場、学校、家庭において、その無意識の思い込みや偏見が、大きなネガティブ要因を生んでいるかもしれない。
無意識につい出てしまう、その一言
「頑張って」。仕事においても家庭内でも、友人との会話にも頻繁に使われている言葉。自分もついつい使ってしまっているが、言ってしまったあと、少し後悔する。それは何故か。言われた方は「もう十分頑張っているよ。これ以上なにを頑張ればいいの」と思い、更なるプレッシャーがかかってしまう。「頑張ったね」はいいが「頑張って」は使わないようにしているが、では、なんて言えばいいのだろう?「Do your best」「You can do it」「Good luck」「加油」・・・ちょっと恥ずかしい。やっぱり「頑張って」は便利な言葉である。
進学、転職、独立など人生の岐路に立つ人に対して、つい発してしまう一言、「もったいない」。人生は一択であり「たられば」はないので、何が正解か、何がもったいないのか、誰にも判断はつかない。それを他人が簡単には言わない方がいいのかもしれない。
そして「真面目だね」。これは言ってしまう事もあるが、言われる事もある。おそらく褒め言葉だし、人によっては喜ばれる言葉だとは思うが、ただの融通の利かない堅物野郎と思われているのか・・他がよっぽど不真面目なのか?いや、不真面目な人間はそうそういない・・・真面目ってどう受け止めればいいのだろう?
立場で見方が変わる
アンコンシャス・バイアスを無くすことは不可能だし、無くす必要はない。それは悪い事ばかりではなく、その思い込みにより、物事を迅速に判断する高速思考を可能にもしているとも言われている。
ただ、その影響は広範囲に及ぶので、それに気づき、向かい続ける事で、様々な可能性が広がっていくものと思われる。ジェンダー平等の推進、キャリアの公平性、ハラスメントの防止、職場や社会における協調性の促進、などなど少しでも環境が改善されていく事に期待したい。
日々職場においてのメールの送受信や書類作成、ランチの店選びなどルーティンはついつい同じ軌道になりやすいので、一歩引いて考えてみる必要がある。
大黒摩季の曲の一節
『人はどちらにつくかで見方が変わってしまう
あれは 身を引いたのか
それとも 逃げ出したのか』
いつもの見る角度を少しでも変え、凝り固まった概念を解きほぐさなくてはならない。
そう、偏屈なオッサンと陰口叩かれる前に。